2025年8月1日(鳥海山・御田ヶ原分岐から)
「これでは撮った場所がわからない、しかも、ここに行かなくてもこのような写真は撮れる。せっかく苦労して行ったのにもったいない。機会を生かしていない。」
そう思い、そして何かしら意味をもたせようと、「説明(言い訳)」や「加工」によって挽回を試みる。
でも、凡庸な写真にいくら意味を持たせようとしても無理なものは無理、この写真はボツ。
そう結論づけようとするのだが、そこでまた
「この光景を見て心を動かされたことは事実。それを、「平凡」だからという理由で否定するのは、自分を偽ることに等しいのではないだろうか。」
という想いが湧き出る。 そこで、どうにか、吹き込まれているはずの「想い」を何かのカタチにできないか。
できることと言えば、タイトルか、もしくは短い文章か。 そう想いを巡らせる。 もはや、その試行錯誤、自問自答そのものがこの写真の存在意味と目的なのかもしれない。
